「見返してやる。」
あまりきれいな言葉ではないかもしれません。
でも私は、若いときには、そんな気持ちが原動力になることもあると思っています。
以前、
「若いときなら、どうすると思う?」
という話になったとき、私はこう思いました。
「やっぱり、見返してやれって言うと思う。若い時はそれが原動力になるからね。」
悔しい。
負けたくない。
できないと思われたくない。
そんな感情は、できれば持たない方がいいもののように思われることがあります。
でも、私はそうは思いません。
大切なのは、
その感情を持つか、持たないかではなく、
その感情を何に使うかだと思っています。
誰かを攻撃するために使えば、人を傷つけます。
ずっと恨み続ければ、自分もしんどくなります。
でも、
「もっとできるようになってやる。」
「いつか認めさせてやる。」
と、自分を動かす力に変えることもできます。
振り返ると、私自身もそうでした。
もっと学びたいと思って大学院へ進んだこと。
新しいものが出てくれば、AIでも何でもまず触ってみようとしてきたこと。
ブログを始めて、自分の経験を残そうとしていること。
仕事では、目の前の困り事を何とかできないかと考え続けてきたこと。
すべてが「見返してやる」だけで始まったわけではありません。
でも、悔しさや負けず嫌いが、自分を動かしてくれた時期は確かにありました。
その感情があったから、もう一歩やってみようと思えたこともあります。
だから私は、
「そんなことを思ってはいけない。」
と、感情そのものを否定しなくてもいいと思っています。
若いときなら、なおさらです。
きれいな理由だけで、人は動くわけではありません。
悔しいから頑張る。
負けたくないから学ぶ。
見返したいから続ける。
それでもいい。
続けているうちに、最初の理由とは違うものが見えてくることがあります。
私も今は、
誰かを見返すために学んでいるわけではありません。
いろいろな人が困っていることを、少しでも解決できるようになりたい。
そのために学び続けています。
始まりは、きれいじゃなくてもいい。
その感情を誰かにぶつけるのではなく、自分を前へ進める力に変えられればいい。
私はそう思っています。
🌱 この判断基準が生まれた背景
若い頃を振り返ると、「見返してやる」という悔しさや負けず嫌いが、自分を動かす力になった時期がありました。その力は学びや挑戦へ向かい、今では困っている人を助けるために学び続けることにつながっています。感情そのものより、その使い方が大切だと気づきました。
🧭 今日の判断基準
「見返してやる」から始まってもいい。
悔しさも、怒りも、負けず嫌いも、
持ってはいけない感情ではない。
その感情を、
人を傷つけるためではなく、
自分を成長させるために使う。
始まりがどんな感情だったとしても、
その力をどこへ向けるかは、自分で選べる。
💡 この判断基準を使う場面
・悔しい出来事があったとき
・誰かに認めてもらえず、腹が立ったとき
・「こんな感情を持ってはいけない」と思ったとき
・若い人が悔しさや反発心を抱えているとき
・負の感情を、自分を前へ進める力に変えたいとき
今日も、一つの判断を未来へ。🧭
生長の日々。ー未来へつなぐ– 