☕ 健康と暮らし|私がやってしまうことで、娘にどんな「当たり前」を残すのか。

家では、
娘が担当している家事があります。

その一つが、
食器洗いです。

でも、
やらない日もあります。

そんなとき私は、

自分の食器だけ洗って、

娘の分は、
あえて洗いません。

「自分の分だけ洗って、娘の分を洗わないを徹底してる。」

という感じです。

もちろん、

意地悪をしたいわけではありません。

洗おうと思えば、
すぐに洗えます。

たぶん、
私がやったほうが早いです。

でも、

そこで全部洗ってしまうと、

「やらないで、放っておけば、母がやってくれるって思われるから。」

それが嫌なんです。

今日の食器だけを見れば、

私が洗ってしまったほうが
家の中は早く片づきます。

でも、

私が気になっているのは、

今日の食器が片づくかどうかだけではありません。

その先で、

「自分がやらなくても、
誰かがやってくれる。」

ということが、

娘にとっての
当たり前になってしまわないか。

そこを考えています。

だからといって、

家事は全部、
決めた担当どおりにやらなければいけない、

とも思っていません。

たとえば、
お風呂掃除。

実際には、
私しかほとんど使っていないようなときは、

「これは私がやればいいか。」

と思って、
自分でやることもあります。

だから、

何が何でも分担を守らせたいわけではありません。

大事なのは、

その家事を誰がやるかよりも、

私がやってしまうことで、

相手にどんな「当たり前」を残すのか。

そこなんだと思います。

やってあげることが、
優しさになることもあります。

疲れているときに代わってあげることもあるし、

「今日はいいよ。」

と言うこともあります。

でも、

毎回こちらがやってしまえば、

それはいつの間にか、

「やらなくても誰かがやる。」

という形になるかもしれません。

私は、

それを残したくないんです。

娘は、
これから社会に出ていきます。

そのときに、

「自分がやらなくても、
誰かがやってくれる。」

という感覚を、

私が家の中で作ってしまうのは
違うなと思いました。

だから、

自分でやったほうが早いことでも、

あえてやらないことがあります。

そう考えていたとき、

「これって仕事にも通じるよね。」

とも思いました。

誰かがやらないたびに、
できる人が全部やってしまう。

それを続けると、

「やらなくても、誰かがやる。」

という空気ができることがあります。

ただ、
今回書きたいのは仕事の話ではありません。

家の中でも、

自分が何気なくやっていることで、

誰かの「当たり前」を作っていることがある。

そのことに気づいた、

という話です。

🌱 今日の気づき

目の前の家事だけを見れば、

私がやってしまったほうが早いことは
たくさんあります。

でも、

やってあげることと、

やってしまうことは、

同じではないのかもしれません。

その一回が、

相手にどんな「当たり前」を残すのか。

そこまで考えると、

あえて手を出さないことも、

一つの関わり方なのだと思います。

今日も、自分を大切に。☕

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